鬱気者沙門、魂の居場所は

鬱の事とか鬱の日常とか

希死

うつ病を含む精神疾患の症状でよく聞かれる「希死」であるが、私の場合は「死にたいわけでは無いけれど、死にたくないわけでも無い」と、ちょっと消極的になる。

 

「死にたい」と言うよりは「居なくなりたい」という思いが強いので、「希死」ではなく「希死念慮」であろうか。

 

ただ「居なくなる」というのも現実問題として色々と面倒なので、「それなら保険金も降りるし、死ぬ方が家族の為にもなるか」と考えている。

 

消極的、という話をしたように毎日のように「死にたい」「居なくなりたい」と強く思っている訳では無く、気が付くと「死ぬ算段」「方法のシミュレーション」が頭の中を占めていて驚く、といった具合である。

 

「死ぬ」ことを強烈に意識するのは大抵家族との諍いの後であり、この1年半の間に未遂1回計画1回であった。

 

未遂は昨年2月、手すりに紐をかけて睡眠導入剤を飲み首をくくったのだが、この時は3,4歩手前で、当時ガン治療で入院していた兄弟の顔がよぎり「この始末を兄弟にやらせるのは申し訳ない」と思い中断した。

計画は先月7月の事であり、この時は綿密に計画し保険の詳細一覧、口座の詳細一覧を作成、HDDのデータおよびブラウザの履歴削除まで行ったのだが、実行日(計画翌日)の朝に何故か死ぬ気が失せていたので計画を中止した。

 

そのため今現在も生きているわけであるが。

 

最近は希死念慮が酷い時は処方された「クエチアピン」を服用して凌いでいる。

 

だがしかし、未遂と計画をした事によりかなり身近に「自死」がある事は間違いない。